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あのパッポン通りに博物館!?

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記事の紹介

 

回は、COURRiER Japonさんの記事、「『地獄の黙示録』のリアル“カーツ大佐”も常連 タイの人気歓楽街「パッポン通り」はCIAの秘密工作の拠点だった」のご紹介です。

 

米兵士や諜報員の拠点・パッポン通り

 アジアを代表する歓楽街が、ベトナム戦争時にはCIA(米中央情報局)の反共活動の拠点だった──そんな歴史の裏面を伝える博物館が最近、タイの首都バンコクのパッポン通りにオープンした。

 パッポン通りといえば、夜市やストリップクラブが立ち並ぶバンコクの人気観光地だ。多くの観光客が足を運ぶこの場所に、かつてCIAの関連施設があり、アメリカ人兵士や諜報員が出入りしていたという。2019年10月に同通りに開館したパッポン博物館は、アジアの有名ナイトスポットの知られざる歴史を紹介している。

 米「CNN」によれば、パッポン通りの歴史は戦前にまでさかのぼる。中国系の移民でセメント業で財を成した富豪ルアン・パッポンパーネが、後にパッポン通りとなる広大なバナナ農園を購入した。

 太平洋戦争が始まると、パッポンパーネの息子ウドムはアメリカに渡り、CIAの前身組織OSS(戦略事務局)に勤務する。

 戦後、バンコクに戻ったウドムは父の所有するバナナ農園を切り拓いて歓楽街をつくり、自分が所有するビルをCIAの友人たちに貸した。それから米兵士や諜報員が集うようになったという。

≪つづく≫

 

詳しくはこちらへ↓

 

 

そもそもパッポン通りとは?

 

パッポン通りとはタイの首都バンコクの中でも最も有名な歓楽街の一つです。

 

バンコク・スカイトレイン(BTS)のサーラーデーン駅、もしくは、バンコク・メトロ(MRT)のシーロム駅からほど近いところに位置しており、シーロム通りとスリウォン通りを繋ぐように垂直に、パッポン通りⅠとパッポン通りⅡの2本が平行して通っており、その東側には、東南アジアでも最大級の日本人向け歓楽街であるタニヤ通りがあります。

 

昼間は閑散としている全長約200mのこのパッポン通りですが、夜になると、パッポン通りⅠは有名ブランドの洋服や靴、バッグや時計などのコピー商品をはじめとした屋台が立ち並ぶ「パッポンナイトバザール」と化すと同時に、ステージでゴーゴーダンサーと呼ばれる水着や下着姿の女性がポールダンスなどを見せる多くのゴーゴーバー(Go Go Bar)が営業を開始し、パッポン通りⅡはバー多くのバーを中心に賑わいを見せています。

 

 

 

このように、パッポン通りにはパッポン通りⅠを中心に多くのゴーゴーバーが軒を連ねることから、BTSナナ駅近くにある3階建てのコの字型の建物にゴーゴーバーが20軒ほど入っている「ナナプラザ」とBTSアソーク駅、またはMRTスクムビット駅近くのゴーゴーバーを中心とした約40軒のバーが連なる通りである「ソイ・カウボーイ」と合わせてバンコクの三大ゴーゴーバーエリアとして知られています

 

 

 

パッポンに博物館!?

 

今回紹介した記事にもあるように、バンコクの中でも最も有名な歓楽街の一つであるパッポン通りに、ベトナム戦争の時代にCIA拠点であった様子やパッポン通りの成り立ちなどを学ぶことができる「パッポン博物館」が2019年10月にオープンしました

 

 

 

 

パッポン通りの「パッポン」は、長期休暇をタイで過ごす欧米人で賑わっていることからか、タイ語を少し学んだ人の中にはタイ語で、休暇を取る、休憩する、休むなどを意味する「パックポン(พักผ่อน)」が由来であると思っている方も多いようですが、実はそうではないようです。

 

「パッポン(พัฒน์พงศ์)」は、今回の記事にもあるように第二次世界大戦前に中国の海南島からタイに移り住んだルアン・パッポンパーネ氏が現在のパッポン通り周辺ににあった広大なバナナ農園を購入したのが始まりです。

 

パッポンパーネ氏と息子ウドム氏は太平洋戦争開始とともに、アメリカに渡ってCIAの前身であるOSS(Office of Strategic Services:米国戦略事務局)に勤務するようになり、戦後になるとルアン・パッポンポーネ氏は戦前に購入していた広大なバナナ農園を切り開くことによって歓楽街を作り、今のパッポン通りができたということで、パッポン通りの「パッポン」はルアン・パッポンポーネ氏の名前が由来です

 

歓楽街となったパッポン通りには米国の諜報員や米軍関係者が集うようになり、ルアン氏はパッポン通りにあるビルの一つをCIAの関係者に貸したことでCIAの活動拠点となったということです。

 

1960年代になり、アメリカ軍がベトナム戦争に介入するようになると、1967年にはパッポン通りに初めてゴーゴーバーがオープンし、当時はニューペッブリー通りが中心であったバンコクの夜の盛り場は、パッポン通りへと移っていったことをきっかけとしてパッポン通りは米軍の若者たちを中心に急速に発展していきました。

 

パッポン通りが栄えるにしたがって、今でもタニヤ通りにある老舗の「クラブ愛」などをはじめとする日本人駐在員向けのクラブも徐々にできはじめましたが、1970年にタニヤビルディングが建設されてからは、多くの日本人クラブはタニヤ通りに移転し、タニヤ通りは日本人駐在員たちの接待の場や夜の遊び場として発展していきました。

 

これにより、欧米系のいわゆるファランはパッポンのゴーゴーバーエリアへ、日本人は日本式のクラブがあるタニヤへと向かうようになりました。

 

 

パッポン博物館は、そんな歴史を学べるのはもちろん、繁華街パッポンの成り立ちにおける裏話やちょっとエロチックな内容まで感じられる博物館となっています。

 

 

コロナが落ち着いたら一度行ってみたいバンコクの新観光スポットの一つです。

 

 

おわりに

 

それでは、本日のまとめです!

 

・ パッポン通りとはタイの首都バンコクの中でも最も有名な歓楽街の一つである

・ パッポン通りに、ベトナム戦争の時代にCIA拠点であった様子やパッポン通りの成り立ちなどを学ぶことができる「パッポン博物館」が2019年10月にオープンした

・ パッポン博物館は、パッポン通りの歴史を学べるのはもちろん、繁華街パッポンの成り立ちにおける裏話やちょっとエロチックな内容まで感じられる博物館となっている

 

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